ミューズは願いを叶えない 10月18日 某時間 成歩堂なんでも事務所 「おっさん、ここ“なんでも”事務所だろ?」 王泥喜の触覚がピクリと動く。ドングリ眼を半分ほど下に降ろすと声の主をその視界に納めた。歳の頃は小学2、3年生だろうか。小生意気な顔立ちだったが、クリクリとよく動く瞳は、みぬきに似た利発さを感じないでもない。 手にはいつぞや彼女が刷ったチラシが握られていて、なんでもという部分にのみ着目した様子の子供は、マジマジと王泥喜の顔を見上げていた。 そうして、さっきドアが開いたのは、気のせいでは無かったのだと王泥喜が思った。入って来るべき人間が、机に座って書類を書いていた王泥喜の視線には引っ掛からず、声を掛けられるまで気のせいだと思っていたのだ。 「あのね、確かに此処は“なんでも”事務所だけど、なんでもする訳じゃないよ。」 諭すように言葉をかければ、馬鹿にしたように鼻を膨らませた子供はそのまま大きな溜息を吐いた。 「殺しと犯罪はやらないって言うんだろ? 常識だろ。」 ちっちっと人差し指を振ってみせる子供は、どうやら大真面目のようで、王泥喜の目は点になった。 …一体なんの常識だよ。 おまけに、でっけぇ態度が何処かの検事を思わせて、王泥喜の眉間に皺を増やす。 元をただせば、こんなに必死をこいて書類を作成しなければならない原因はあの男だ。期限はもっとあったはずだ。あんな電話さえ、かかってこなければ…。 「…客を無視して物思いに耽るとは社員教育がなってないな。所長を呼べ。」 ビシッと鼻先に指を突き付けられ、王泥喜は引き攣る頬に笑みを浮かべた。御退出を願おうと腰を上げた王泥喜を制したのは、みぬきだった。 「ちょっと待って下さい、王泥喜さん。」 さっきまで、所長室で午睡を貪っていたはずの魔術師は、じいっとその子供の全身をくまなく観察してから、王泥喜に耳打ちをする。 「この子供の制服は、某都内私立有名大学付属小学校のものに間違いありません。これは好機ですよ、王泥喜さん。」 「はぁ?」 「きっと、自宅はお金持ちです。お金も有り余ってるに違いないですよ。 此処は、身代金という名で少し工面して貰いましょう。みぬき給食費が滞ってて、ほら都合の良い事に此処にロープも!」 「それは、マジック用のロープで縄抜け出来るだろ!!…っていうか何でも、パンツから出すんじゃない!それから、犯罪だから!」 え〜と不満そうなみぬきのパンツにロープを片付けさせながら、王泥喜は某都内私立有名大学付属小学生を振り返った。引きつった笑みを顔に浮かべる。 「…という訳で取り込み中だから、帰ってくれる?」 「ちっ、前払いって事かよ。ショボイ事務所かと思えば、しっかりしてるぜ。」 ふうと大きな溜息の後、小学生が口にするとは思えない台詞を吐き出す。そうして背中のランドセルを下ろして中を探った。思わず覗き込んだみぬきと王泥喜の前に万札が五枚ひらりと舞った。 「毎月のお小遣いが少ないからこれしか出せないけど、引き受けてくれたらパパに頼んでもう少し出して貰うから…。」 「何でも申しつけて下さい、ご主人様。私が所長の成歩堂みぬきです。」 何処のメイド喫茶かと思う甘い声で、みぬきがにっこりと微笑んだ。その手に握られた現金に全てを諦め、王泥喜は依頼人の話を聞く為に奥のソファーを指さした。 content/ next |